2009年3月19日木曜日

勇気づけの学級経営

(私にアドラー、という言葉を教えて下さったSさんにお願いして 実践の一部を書いて頂きました。)
 アドラーの「勇気づけ」を学び始めた当時、4年生の担任でした。
自閉症の女の子がいて、その子は1年生の頃からパニックを起こすことが有名な子で 担任するときに不安でした。
 アドラーの学びにより、パニックを起こしている時は注目せず、平穏な状態の時には認め、挙手したときには まわりとあまりそぐわない発言でも大事にしてとりあげることを続けるうちに、みんなと共に学習に参加することが次第にできていきました。
親からも、
「今までは 担任からお荷物のように扱われていたけれど、学校にいくことを嫌がらなくなりました。」
と感謝されました。
 その時、周りの子ども達が、私に協力してくれたことを当たり前と思わず、その都度感謝の言葉を伝えました。
「○○ちゃんの発言を聞いてくれてありがとう」
「○○ちゃんが泣いているのに、ちゃんと私の授業を聞いてくれてありがとう。とても嬉しい。協力してくれてありがとう。」
という言葉は、繰り返して言ってきました。そんな中で、だんだん彼女の発言も的を射てくると、周りの子たちも彼女に対しての嫌悪感が薄くなり、一員として認めていったように思います。
教室から泣き叫ぶ声が聞かれなくなり、職員室の同僚に、
「○○ちゃんどうしたのかしらね。」
と言われました。

その後、彼女は、短大にまで進学できたという話を聞きました。

 そんなふうに、毎年 いわゆる問題児といわれる 「話が聞けない子」「出歩く子」「言葉がでないですぐ手が出る子」「忘れ物や宿題をやって来ない子」などが教室にいます。
そんな子たちの対応に悩み エネルギーを消耗するわけですが、アドラーを学んでからは、あまり悩まなくなりました。まずい点は指摘せず、頑張ってくれたことに注目し、認めるようにしていったからです。
今までは、子ども達が授業を聞くのが当たり前と思っていて、聞いていないでうるさかったりしていると怒ったり 注意していたのです。
子どもたちがちゃんと聞いてくれていると思うと
「ありがとう。」
という気になったのです。発言をしてくれると、
「ありがとう。」
よく考えてくれるねと。質問をしてくれると、
「ありがとう。」
よく考えてくれているねと。そんな中で、クラスの雰囲気が自分の考えを率直に表現できるし、それをみんなで耳を傾けてくれるという基本的な学びの基本が出来ていったように思います。
 また、忘れたという負の点に教師が注目しないので、周りの子たちもその子を忘れたことについていじめたりということはなくなっていったと思います。
いじめのきっかけは、教師の言葉や態度がその出発になることが多いと思います。忘れたから 怒る。だから、周りも注意する。だらしないから、注意する。だから、周りもその子にだらしないということを言ってもよいと思ってしまう。「あなたはよくできたね。みんなもこの子のようにできるといいね。」
なんていうと、周りは、その子が憎たらしくなり無視したりしたくなる。教師の言葉は、適切でないといけない。ほめることと、認めることの違いの理解が正しくできてないと不幸を生み出してしまう。

・アドラーを学んでから、自分の課題は自分で責任をとるということは、どういうことなのかということを実践から学びました。
小学生は特に低学年は自分の表現が未発達だから、口より手が先にでる。仲よくしたくても手がでる。相手は、たたかれたことで、すぐに敵意をもつ。そんなトラブルの解決の仕方をじぶんたちのこととしてできなければならない。1年生は、1年生なりに。3年生は3年生なりに。6年生は6年生なりに。その発達に即した責任の取り方を学ばせることが大事です。
それが、
「ごめんなさい!」
と謝ることであったり、相手のノートの落書きを消しゴムで消すことであったり、自分の物と取り替えることであったり、校長にあやまりに行くことであったり。
親が出てきて、親の問題になったり、教師が納得させたりすることでは、解決したことにはなっていません。

 こんなこともありました。1年生のこどもが自分の机にマジックで落書きをしていました。
「自分の机だからいいじゃない。」
と。
「この机は来年の1年生も使う学校の机だからどうしよう。」
と 問いかけました。その子は一生懸命にぞうきんをしぼってふいていましたが消えません。
「どうする?」
と言ったら、
「前、おとうさんがマジックを油でふいて消していたから、明日油を持ってくる」
と言いました。私は、1年生が家から油をもっていくことになると家の人も何事が起きたか驚くと思い、その子が家に着く前にお母さんに電話をしました。
「油を持っていくといったら、相談に乗ってあげてください。」
と。お母さんは先生から、連絡があったことは言わず、子どもの相談にのってくれました。そして、翌日
「油はあぶないから、お母さんのマニュキュア落としを持って来た。」
と言ってごしごしふいていました。

こんなふうに、何か問題があったら、怒るのではなく、どうしたらよいか本人や当事者同士に考えさせ、対応させるようになったら、私の精神的な負担が軽くなったし、親の方もいちいち子どもの失態を報告されるというかたちではないので、気が楽になったのではないかと思います。親と教師で共に、子どもの成長を見守るといういい関係を築く基本ができたように思います。

アドラーでは、負の面には注目しないので、気の合わない同僚から何かいわれても、これは自分のクラスのことだから、自分で責任をもつことなのだから、余計なことを言われても気にしないと思えるようになりました。よく鬱病は人間関係の中から生まれるといいます。自分で自分にOKを出すことが大事なことなので、人の目とか負の人の言葉とかがあまり気にならなくなり楽天的に仕事ができるようになったと思います。

なんて、だらだらと書きました。書くと、いろんなことが思い出されて収拾がつかなくなるので、この辺でやめます